生成AI時代の企業PR。 「嫌われる使い方」をしていませんか?
YouTubeやInstagramをみていると生成AIで作られた動画コンテンツを見にすることが本当に多くなりました。飲食店などで目にするメニューのPOPなどにも生成AIで作られたものがあったりと、、私たちの生活に深く入り込んでいる生成AIコンテンツ。ここで一度、生成AIの「使える」「使うべき」「使わないべき」の考え方について代表の上中とスタッフのウダちゃんがあらためて考えてみました。
ウダちゃん:
最近、生成AIで作った画像や動画、本当に増えましたよね。
上中:
増えたね。しかも、これがかなりリアルなんだわなー。
ちょっと前までは「いかにもAI」という感じだったものが、今は一見しただけでは分からないものも多い。
ウダちゃん:
じゃあ、AIの技術が進歩したこと自体は、いいことなんじゃないですか?
上中:
そのとおり!
仕事でもAIは使ってるし、生産性を上げるうえでの貢献度は計り知れないよね。
ただ最近、ちょっと気になることがあるんだよね。
「AIで作れるから、AIで作る」ことが目的になってない?
「またAIか……」と感じること、ありませんか?
例えば飲食店のPOP。
料理の写真をAIで生成して、「おいしそうな料理のイメージ」を作る。
技術としてはすごい。
でも、実際に提供される料理とは微妙に違っていたりする。
具材がありえない入り方をしていたり、盛り付けが現実にはありえないくらい整っていたり、お米がプラスチックみたいにツヤツヤしていたり(笑)正直気持ち悪いビジュアルになっちゃってる時がある。。
そして、そういう画像を使ったPOPが、やたら派手な文字や装飾と一緒に並んでいる。
「……実物を撮ったほうがよくない?」
と思ってしまうことがある。
ウダちゃん:
分かります(笑)。
上中:
もちろん、もっと上手に使えば良いものが生成されたのかもしれない。
でも、見る側からすると「またこの感じか」と、少し胃もたれしているような感覚があるんじゃないかな。
「全部AIで作れます!」って、そんなにすごいことなのか
もう一つ気になるのが、クリエイター側の発信。
「台本も動画も画像もナレーションも、全部AIで作れます!」
「撮影なしで全部AIで作れます!」
でも僕は、逆に聞いてみたい。
「それって、本当に“すごいこと”なの?」
ウダちゃん:
おお……。
上中:
いや、技術としてはすごいよ。
でも、クリエイティブって「何を使って作ったか」を競うものじゃないと思うんだ。
大事なのは、
「それによって、何が伝わったのか」
「見た人がどう感じたのか」
「最終的にどんな成果につながったのか」
でしょう。
例えば企業の工場紹介動画。
実際に存在する工場があるなら、そこを撮影すべきだし、
実際に働いている社員がいるなら、その人に出てもらったほうがいい。
実際の商品があるなら、それを撮影するのがいい。
そこまでAIで作ってしまう必要があるのかな、と思う。
AIを使うことが悪いわけじゃない
ウダちゃん:
映像制作においては上中さんはAI反対派なんですか?
上中:
いや、使いどころを間違わないようにすべき派です(笑)
例えば、
「まだ存在しない未来の商品をイメージ映像にしたい」
「実写では撮れない世界を表現したい」
「企画段階で完成イメージを共有したい」
「背景や素材を少し補完したい」
こういう場面では、生成AIは本当に便利。
これまで何日もかかっていたことが、数時間でできるようになることもある。
だからこそ、使いどころを間違えたくない。
「安く・早く作れる」が目的になっていないか
生成AIによって、制作コストを下げられる場面は確実に増えた。
制作時間も短くできる。
これは企業にとって大きなメリットだと思う。
でも、ここで一つ考えたい。
販促物を作る目的って、そもそも何だろう?
安く作ること?
早く作ること?
AIを使うこと?
……違うはず。
商品を知ってもらう。
会社を知ってもらう。
興味を持ってもらう。
信頼してもらう。
そして、購入や問い合わせなどの行動につなげる。
そこが目的のはず。
例えば、実写で10万円かかるものをAIで3万円で作れたとしても、
見た人が、
「なんか嘘っぽい」
「この商品、本当にこんな感じ?」
「またAIか……」
と思ってしまったら。
7万円安くなった代わりに、もっと大きなものを失っているかもしれない。
「これ、本当にユーザーの声なの?」
最近、YouTubeなどで美容液や育毛商品の広告を見ていると、ちょっと気になるものがある。
「実際に使ってみたユーザー」のインタビュー形式なのに、登場している人物そのものがAIで生成されているような広告なの。
そして、
「すごいです!効果がありました!」
といった、かなり都合のいいコメントを話している。
ウダちゃん:
それ、ユーザーじゃないんじゃ……。
上中:
そう。
そこが問題なんだと思う。
AIで架空の人物を作ること自体が悪いわけじゃない。
「これはAIキャラクターです」と分かる形で広告に登場させるなら、また話は違う。
でも、「実際に使った人の体験談」という文脈で見せているのなら、
「この人、本当に存在するの?」
「この体験談、本当にあったの?」
という疑問が出てくる。
そして一度そこに疑問を持ってしまうと、
「じゃあ、この商品の説明も本当なの?」
となってしまう。
広告一つの問題ではなく、企業そのものへの信頼につながる話だと思う。
いま、映像そのものが疑われ始めている
そして、これは企業広告だけの話でもない。
SNSを見ていると、AIで作った人物、AIで作ったニュース映像、AIで作った事件や事故のような映像まで、本当にたくさん流れてくる。
すると、見る側もだんだん、
「これ、本物?」
と最初から疑って見るようになる。
以前なら、
「映像を見る → 事実として受け入れる→内容を理解する」
だったものが、
「映像を見る → 本物か疑う → AIじゃないか考える → 内容を判断する」
になってしまう。
これは結構大きな変化だと思う。
AIが進化したことで、「映像」そのものの信頼性が揺らぎ始めている。
だからこそ、企業PRでは逆に、
「本当に存在するものを、本当に撮る」
ことの価値が上がっていくんじゃないかと思っている。
倫理観と、バランス感覚
僕が一番大事だと思っているのは、結局ここ。
倫理観とバランス感覚。
「AIでできるんだから、AIでやればいい」
と考えてしまうと、視野が狭くなる。
技術があるから使う。
安いから使う。
早いから使う。
それだけでは、クリエイティブの設計にはならない。
「ここはAIを使ったほうがいい」
という判断と同じくらい、
「ここはAIを使わないほうがいい」
という判断も大切だと思う。
むしろ、これからクリエイターには、その判断力がより求められるんじゃないだろうか。
AIを使えることより、AIをどう使うか
「全部AIで作れます」ということを、クリエイターの強みとして打ち出す人もいる。
それはそれで、一つのポジション取りだと思う。
とはいえ、AIを使った瞬間に価値が下がるものがあるのもこれまた事実なんだよ。
その境界線を見極める。
場合によっては、AIを使わない。
「想像力」が大事なんじゃないかな。
「作れる」と「伝わる」は違う
生成AIによって、「作ること」は驚くほど簡単になった。
でも、
「伝えること」まで簡単になったわけではない。
どれだけ短時間で、どれだけ安く、どれだけリアルな映像を作れても、
見た人に「気持ち悪い」「信用できない」「どうせAIでしょ」と思われてしまったら、企業PRとしては本末転倒。
販促物の価値は、
「作ったこと」ではなく、
「見た人に何を感じてもらい、どんな行動につながったか」
で決まる。
AIを使うことを前提や目的にしない。
AIでできることが増えた今だからこそ、
「これはAIでやるべきか?」
「これは人がやるべきか?」
「本物を撮るべきじゃないか?」
と、一度立ち止まって考える。
そのバランス感覚を持っていたいと思う。
AIを使えることより、AIの使い処を正しく判断ができること。
これからのクリエイターや企業にはそんな視点が必要なんじゃないだろうか。そんな風に思います。
